ギャングヒストリー

ゴールデンレトリーバー専門プロフェッショナルブリーダー&ハンドラー長久保秀子のサイトです

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犬舎に歴史あり

ギャング・ヒストリー



ギャング誕生

gunnar1.jpgAM-CH.ガナーe0049883_18313769.jpgジャネットギャングの母親は「オーヘンリーペッパークリークジャネット」
コールネームは「ジャネット」。鹿児島県のブリーダーから購入。
ジャネットはゴールドラッシュとアスターリングの血統、骨太で、顔は結構つまったタイプ。父親の「AMCHカインドレッドペッパークリークサスペンス」に良く似たタイプの雌。性格は内弁慶でショーは大嫌い、やっとJKCCHになる。
父親は、最近では知名度が低いかも知れない「AMCHガナー」。
アメリカからリースで日本に来てたゴールデンである。ガナーの色はライトゴールドで癖のないストレートコート、ショーでは元気で良く走る雄犬。アジアインターでもBOBを受賞するなどショーで活躍をしていた。
そんなエレガントなガナーがとっても好きだった私は、色が濃く癖のあるコートでおまけに動きが悪いジャネットに交配をしてもらった。それが運のつき(?)。ダイナマイトバスターオブセルジオメンデス誕生となる。

gang01m.jpg色の濃いのがギャングgang03m.jpgキカンボー ギャング1992年3月6日東京でギャングは生まれた。たった2頭姉妹で体重は500g、2頭なので大きめだった。
姉妹の色の薄い方の犬は構成的にいまいち、師匠に言われてキープはキカンボーの方、故に呼び名はギャング。

わたしはこの頃何も知らず、動きが悪くてウエーブのあるコートをした雌犬でも、動きが良くてストレートコートの犬を交配すれば、ちょうど良く混ざって良い犬が生まれると真剣に思っていた。






ショーデビュー

gang07m.jpgデビュー戦gang08m.jpg激戦のパピークラスデビュー戦でリザーブクイーンを受賞。初めてブリーディングした自分の繁殖犬、嬉しくないわけがない。この頃私はまだオーナーハンドラーに毛が生えたくらい。ゴールデンは全盛期だった。ベビークラスから必ず相手は3頭以上はいた。レベルも高く外産だの持ち込み腹だの、それはそれはブリードを取るのが大変、毎度みんなの鼻息は荒かった。
そのなかでもギャングは安定した走りに良い性格。ここまでは足して2で割った犬なんだと、両親の長所をもって生まれたギャングは負け知らずだった。

パピークラスを迎えるとさらに頭数が多くなり、成犬同様の意気込み。クラブ展でもこの頭数。ここに並ぶゴールデン、ほとんどが同じ父親。他にもAMCHで種雄はいたのだがリースとなれば日本にいる期間も限られるのと、今までのゴールデンとは違ったイメージだっただけに多くのブリーダーが交配をしてもらったためパピー達が多かった。

ギャングが生まれて一年が過ぎた頃、再びギャングの母ジャネットに交配をした。相手はリースできていたAMCHモンタナスカイ。ジャネットは帝王切開で1頭を出産。とても子煩悩なジャネットは嘗め回しては転がってしまうわが子を、そっとくわえて寄せては嘗めるを繰り返していた。しかし仔犬が生後40日を過ぎた頃ジャネットは天国へ行ってしまった。
gang10m.jpggang11m.jpg命日はジャネット3歳の誕生日でもあった。
生涯たった3頭しか出産しなかったジャネットだけれど、私はこの犬に沢山の事を教わり、当社もこのジャネットがいてくれたからこそ存在する。ジャネットのブリーダーである鹿児島の嶋田さんへの感謝の気持ちを忘れる事はない。
ジャネットの死でやる気を失ってしまった私、どんなにつらくても残された犬たちの世話は当然しなくてはならない。犬たちは何もなかったかのように過ごしている。
時間が私の気持ちを落ち着かせてくれた。「こんな事ではいけない」若くして天国へ行ってしまったジャネットのためにもこれから起こる試練に立ち向かおう。ギャングを日本の歴史に残るスーパードックにしてみせると私は自分に誓った。

この後CERGIOMENDES犬舎は埼玉へ住所を移した。

gang12m.jpggang13m.jpgジュニアクラスになったギャング、JKCCHまでにそれほど時間はかからなかった。ジュニアクラスでCHになったギャングのデビュー戦は毎年4月に行われる本部展。1歳になったばかりのCHクラス、私のほうが緊張していた。ここではファーストアワードを受賞。この年の雌の本部展BOBはAMCHでホーナーズ犬舎のフィーバー。
次の年の本部展ではベストオブブリードを受賞。
この年の本部展にはアメリカからアスターリング犬舎のブリーダー&ハンドラーが、ゴールデンレトリーバーのトリミング&グルーミング講習会とショーイングを兼ねて来日していた。しかしギャングには勝てなかった。






ブリーディング

001.jpgAM-CH.パリスゲラン2-17guido5.jpgAM-CH.グイド本部展も終わり、次の課題はブリーディング。ギャングの交配相手はもう決めていた。この頃、ある人の紹介で「AMCHホーナーズワイルドイタリアン」コールネーム「グイド」が当社でボーディングをしていたので、交配相手はグイドに決定。
グイドを選んだ理由は、ギャングに対してグイドはショートバック、一番のポイントは走り。ギャング自身の走りに問題はなかったが、グイドのイケイケの走りには目が釘付けとなった。なんともいえないタワシのような頭部、赤ちゃんのような可愛いフェイス等が決め手。
一度目のグイドとのブリーディング大成功。子供達は、どこのショーに行っても良い成績を取った。しかも女の子は本部展ジュニアクラスでクイーンまで受賞し、後にアメリカナショナルゴールデンスペシャリティではリザーブウイナービッチ&AMCHとなる。「その名はAMCHセルジオメンデスJP'Sパリスゲラン」。親子で2年にわたり本部展ベストオブブリードを獲得した。
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2度目も同じ組み合わせのブリーディングにより、この年の本部展ベストオブブリードを獲得したビビの母親が誕生した。「JKCCHセルジオメンデスJP'Sワイルドブリーゼ」。この犬も本部展ジュニアクラスでWBに入賞。
子供達の活躍を楽しみながらも、まだまだ物足りない私はギャングの状態の良い時だけを選んで出陳した。ギャングは出産後のコートの上がりが早く、この写真は5歳の時。本部展でBOB以外は必ずアワードオブメリットを獲得した。

この頃私は、もう一頭ギャングに負けずとも劣らない雌犬が欲しかった。

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なかなか理想の雌が見つからない時、何年も前から欲しかった血統のゴールデンを縁あって購入する。「AMCHラッシュヒルズハーゲンダッツ」の子供である。雌1頭雄2頭譲ってもらう事にした。私は洋服などでも気に入ったものは色違いで買う様な癖がある。それと犬は別だと人は言うが、つまり欲張りなのだ。
今までの血統とは見た目も全然違う。色は濃く、毛なんか全然でない。おまけにテンションの低い事。しかし骨格構成は非常に良い。名前は「ジロウ」「ゴロウ」「ナオミ」ご存知の方にはなじみ深い名前だと思う。ナオミはサンダーの母親、そしてジロウはビビの父親。ギャングの血とナオミの血があれば将来は面白い組み合わせが出来るであろうと想像した。
gang28m.jpggang31m.jpgギャングは結構いい年令になっていた。ナオミもJKCCHを完成。今度はナオミをCHクラスとして出陳しはじめた。本部展にはナオミ3歳ギャング9歳で挑む。2000年の本部展の雄クラスでジャスティスがBOBを獲得している、にもかかわらず雌クラスでナオミがBOB、ギャングはアワードに入賞。盆と正月がいっぺんに来たような出来事だった。ちなみに1999年の本部展でもジャスティスがアメリカ人ジャッジにてBOBを獲得。ジャスティスは2年連続BOBを獲得した事になる、ちなみにジャスティスとナオミは同じ母親の子供。
そこで私はその年のランキングをナオミで追う事に決めた。
しかし調子に乗った私の期待はだんだんと減速する事になる。

gang29m.jpggang27m.jpgナオミと言う名前をつけた理由、色が濃い、スポーティ、黒人モデルさんのナオミ・キャンベルをイメージしていた。色の濃いゴールデンは見た目は地味だ。アメリカの本場ではないのだから、簡単に通用するわけがない。ここまではランキング1位を保っていたが、関西方面でのショーは負けっぱなしだった。

2位のゴールデンは関西方面では、常に勝ち進んでいるとの情報。1位を獲得するには直接対決で勝たなくてはない。ちょっと厳しい状況。相手は綺麗なタイプ、こちらは一般請けはしないタイプ。そんな中状態を維持させてたギャングが出ることになった。ギャングを1位になどと考えていなかった。

gang22m.jpg乗りかかった船、ナオミを1位にしたかった。直接対決には必ずナオミとギャングを出陳し、だからといってBOBを取れるとは決まっていない。だからドックショーは面白いし
ハンドラーは誰にする?ギャングは私以外にハンドリングされた事がない。だけどナオミもできる事なら勝たせたい。ギャングの走りをビデオでしか見たことがない私は、チャンスだと思って、仲間のM氏にギャングのハンドリングをその場で依頼。私はナオミをハンドリングする事になった。作戦大成功。もちろん勝利はいつでもギャング。ストッパー役のギャングでナオミもペディグリーアワードを受賞。








最後の花道

gang21m.jpg私はギャングを最後に10歳で本部展に出したい気持ちになった。プロになって何年も経ち、プロハンドラーに自分の大事な犬を引いてもらい、すごく感激したのを今でも覚えている。
拍手をするとターボがかかるギャングの走りは、まだまだ行けると確信できた。若い頃と違って充実してる。しすぎてたかもしれない。
私の方針としてCHになったからといってそこでその犬のショーイングを終わらせる事はない。いつでもここ一番という時にはショーイングできるよう、そして勝てるよう状態を維持する。そんな私の考えをギャングは知っているかのようだった。いつでも良い状態をキープしていた。自宅にいるときのギャングは普通のゴールデン、しかしショーの会場ではスターに徹していた。自宅でのケアの時はトリミングテーブルで座る専門なのに、会場ではまったく座らない。皆が自分を見に来ている事に優越感があったのだと思う。

私はギャングとショーをするのが自慢だった。そしてつらい事や苦しい事があっても彼女がいたから全て乗り越えられた。

ギャングが若い頃「トリーツ」と言うビスケットのポスター撮影の依頼が来た、もちろんギャングを使ってもらおうと考えた。万が一を考えてもう一頭お客様のお預かり犬の若い雌犬も連れて行った。ポスターのイメージは、外人ドクターがビスケットを持って犬の口元にそっと持って行く、そして主役のゴールデンがそのビスケットを食べようとする。と言うような画が撮りたいいという事。ギャングもこれで芸能犬とかと思ったが、私の心配は的中。カメラマンさんはお疲れ状態に、私も冷や汗ダラダラ。
撮れた写真はガツガツと食べてしまっている姿ばかりだった。もちろんNG。万が一のゴールデンを連れていて良かった。


gang32m.jpgBOB獲得ついにギャングにとって最後の大勝負。10歳にして2度目のベストオブブリード獲得。リンクの中でのギャングは凛々しかった。しかし触診が終わってアップダーンとジャッジに支持されて、戻ってくる時のターン、年齢が年齢だ、勢いが付きすぎたか、パッドがつるつる状態のせいか、スットーン!と転んでしまった。その時私は心臓が止まるかと思うほどビックリした。しかし、ギャングはすぐさま立ち上がり、何もなかったかのように状態を立て直しジャッジの所まで戻り、お決まりのフリーで見せ場を作る。アップダーンやり直しの支持がでて2度目は同じ失敗をしないところが一流犬。BOBを取った瞬間思わず「ヤッター」と声が出た。同時に今までのギャングとのドックショーの旅が走馬灯のように思いだされて涙が止まらなかった。

最後の花道が10歳のBOBなんて、なんという幸運。ギャングのお母さんのジャネットの分まで頑張れたと感無量だった。






余命宣告

gang15m.jpgギャングもまだまだ元気とは言っても10歳を過ぎた老犬には違いない、6歳ぐらいから定期的に健康診断を受けていたのだ。本部展が終わった頃、ギャングの胸のあたりに小さなしこりを見つけた。たいしたことはないだろうと、次回の健康診断のときに診てもらおうと様子を見ていた。が、やはり気になるのですぐに病院へ行く事にした。
病院について診断を受け、少しだけ針みたいなものでしこりの組織を取り、病理検査へ。それから2週間程経って院長先生から電話。結果が出たので、来て下さいとの事。結果を聞いて私は耳を疑った。悪性の血管肉腫癌。ギャングの命は3ヶ月~6ヶ月と告げられ、その場で私は取り乱してしまった。そんなはずない、まだこんなに元気なのに…。
胸に出来たしこりはどこにも転移はしていない。今のうちに取りのぞく手術をする事になった。運の強い犬だからもしかしたら治るかもしれないと思った。手術は無事に終わり、術後は定期的に検査を受けた。


ギャングは何も変わらない、元気だ。それから10ヶ月ぐらい経った頃、貧血気味だという事でクスリが出され、毎日飲ませるようになった。今度は毎週病院に通うことになり、行くたび貧血がひどくなっている。輸血をする事になったギャングはちょっとつらそう。私のところには、とびっきり威勢の良いギャングの子孫が沢山いるので血液が合うかテストするため3頭を病院まで連れて行くことになった。血液の合った子孫の血をギャングの体の中に少しずつ入れていく。私はその間ずっとそばを離れなかった。輸血したことによってギャングは少し元気になった。ご飯も良く食べて、フラフラしない。

ちょうどその時期は1月でドックショーも毎週のように行われる。FCI千葉インターと連合展に2日連続でエントリーをしていたのだが、ギャングを置いてはいけない。アシスタントに仕事を任せ、私はギャングの様子を見ることにした。


gang18m.jpggang19m.jpg思い起こせば常にギャングはショードック生活を送っていた、こうやって落ち着いて一緒に居られることがほとんどなかったことに気がついた。とても充実した2日間を過ごせた。


それから何日かたったある日、足が麻痺しギャングが立てなくなった。でもトイレに行きたい時は、ちゃんと目で教えてくれる。アシスタントと私で、外に連れて行きトイレを済ませる。



gang33m.jpgそれから運命の2月4日。ギャングはうつ伏せになった状態のまま、ペットシーツを敷きそこでトイレを済ませるようになる。明け方までに何度も嘔吐を繰り返す。しかし4日の夜もスープを食べてくれた。非常に顔色が良い日だった。
ギャングの体調が悪くなってから私たちは部屋で一緒に過ごすようにしていた。その日の夜も、仕事を終えていつものようにのんびりすごしている時間。
全てが終わったような気がした。いままで私の目を見て穏やかな顔をしていたのに。

ギャングの死を聞きつけて、沢山の方が来てくれた。ギャングの為に各地から送られたお花で部屋がいっぱいになった。

ゴールデンレトリーバーは58%が癌になるといわれている。でも私はゴールデンが大好きだ。

私がなぜギャングヒストリーを書いたのか。セルジオメンデスゴールデンがどの様に誕生したか、そして10歳でも若々しくショーで活躍をしたギャングを多くの方に知って欲しかったから。


長久保秀子

INT.JKC.CH/93.3 Dinamite Baster Of Cergio Mendes Jp
1992.3.6-2004.2.4